トラウマにしないためには、自己責任の考え方が必要です。
トラウマ解消第2弾。前回は、「視点を上げて状況を考える」ことについてお話しました。ポイントは、ものごとに対する評価を変えることと、前頭前野を優位にすることでしたね。
今回は、「自己責任」についてお話しましょう。自己責任と聞いて、年越し派遣村などの自己責任論のことを思い浮かべる方もいるでしょう。しかし、今回お話するのは、「自分の人生における選択や結果に対しては、自分に責任がある」という考え方のことです。自己責任を意識することで、前頭前野が優位になり、エフィカシーが高まります。それによってトラウマも解消してしまうでしょう。
いかに困難な状況であっても、人間は何らかの選択をすることができます。たとえば、牢屋に閉じ込められたとしても、
・脱走する
・助けを求める
・ハンガーストライキをする
などが可能です。そして、その結果起こることに対してもまた選択が可能です。こういうことを自己責任と言います。間違っても、「他人の力を借りない」という意味ではありませんのでご注意を。
自己責任の考え方が欠如しているとどうなるでしょうか。牢屋に閉じ込められたら、「自分の人生は何て不幸なんだ」と無力感を感じて自暴自棄になってしまうでしょう。そして、自分で考えることをやめて、ただ状況に対して反応するだけになってしまいます。エフィカシーは極端に下がり、心に深い傷を残すことになるのです。
対して、自己責任の考え方を持っていると、状況を受け入れながら、未来に向かって状況に対処していくことができるようになります。エフィカシーは高く維持され、精神的なダメージも少なくなるのです。
今持っている過去のトラウマや、これから起こるトラウマティックな出来事に対処していくためにも、この「自己責任」の考え方を常に持っておきましょう。過去のトラウマに対しては、このように考えてください。
「自分にも出来事の原因の一端があった」
これは到底受け入れられない思考かもしれません。なぜなら、多くの人はトラウマになるような出来事に対して「自分は何も悪くない」と思っているからです。
「あいつが一方的に悪い。なぜってあんなひどいことをしたからだ」
「私は悪くない。私は他人に危害を加えたことなんてない」
と考えてしまっているのです。確かに、法的にはそういうことはありえるでしょう。でも人間関係においてはありえません。なぜなら、人間「関係」という言葉通り、自分と相手の間におきることは、関係性の問題であるからです。
たとえば、いじめはいじめる側といじめられる側がいなければ成立しません。いじめっこが空気に向かって悪口を言ったり、パンチやキックをお見舞いしてみたところで、それはいじめにはならないのです。つまりいじめが成立したということは、自分と相手の間に、いじめの関係性ができたということ。いじめられっこもその関係性の一端を担っているのです。
もしかしたら、自分が気づかないうちに相手に対して嫌なことをしていたかもしれません。また、相手との間に違う関係性が築けた可能性もあります。自分の過去の選択の結果、望ましくない状況が起きたのですから、100%自分に責任はない、とは言えませんよね。
ただし、このことは法的責任や道義的責任とは関係ありません。いじめは、いじめる側が一方的に悪い、という意見があってもいいでしょう。社会的にはそうあるべきかもしれませんが、それと自分自身のマインドの使い方は別物だと理解しましょう。
さらに、縁起を見れば、全てのことは関係性でできています。つまり全てのことに自己責任があるのです。たとえば、猫に指を噛まれた!というのも、自己責任であり、そのときどう対処するかも自己責任です。人間関係に限らず、全てのことに自己責任を当てはめてみましょう。
自己責任を過去のトラウマに当てはめれば、さまざまな効果が期待できます。まず、脳の前頭前野が働き、状況を客観的に見れるようになります。そのことによって、感情自体をコントロール可能になります。
そして、過去の出来事に対する評価が変わります。自分にも責任があったと思えば、トラウマティックな出来事が、抗えない力ではなかったと捉えることができます。そうすると、恐怖、不安は薄らぎます。エフィカシーも高まって、自分に対する否定的な考えもなくなっていくでしょう。
自己責任を意識することによって、過去の出来事は自分にも責任があったと捉えてみてください。そうすれば、トラウマは楽に解消していきます。また、今後も自己責任を意識することでエフィカシーが高まり、どんなことでも対処するという自信を身につけることができるでしょう。トラウマを作ることもなくなるはずです。
では次回は、「未来から判断する」についてお話します。それでは!