今、婚外子の相続問題が世間で話題になっています。結婚していない男女の間に生まれた子供は、結婚している男女の間に生まれた子供の半分しか親の財産をできないという法律があるのですが、それが差別ではないかという裁判になっています。
それが最高裁判所まで争われて最高裁で、その法律が憲法違反であるという判決が出たのです。しかも、最高裁判事が全員一致で違憲判決という希に見る事態になっています。その判決について、いろんな人が発言しており社会問題となっているようです。
最高裁判所から憲法違反の判決が出たからには、法律が改正されないといけないのですが、一部の国会議員からかなり反対の声が出ているようです。家族制度が崩壊するとか、不貞の子を認めていいのかといった意見まで出ているそうです。
ここで思ったのは、家の論理が日本ではかなり根強いんだということです。家族制度が日本の伝統だとか、人間として正しいと思っている人が多いと思いました。
しかし、家族制度自体は明治に民法が制定された際に導入された新しい制度で、決して日本の伝統的な制度とは言えません。今のような一対一の結婚をして家族を作るという考え方は明治より前は一般的ではありませんでした。
日本を近代化するために家族制度が導入されたのです。そして不貞だとか罪の意識も一緒に生まれました。それ以前は、もっと緩やかな性の規範があって夜這いや複数婚なども一般的に行われていたくらいです。現代でも日本では個人より家のほうが大事になってしまっています。
ちょっと考えて欲しいのは、養子をもらった場合、養子に対しては通常通りの相続が行われることです。血縁のある婚外子は半分しかもらえないのに、血縁のない養子は全部もらえるということです。
養子が全部もらえることはいいのですが、家の子か家の子じゃないかが問題になるのは、
やはり個人よりも家のほうが大事だという話です。個人の差別をやめるより、家族制度のほうが大事なので、国会議員でさえ憲法違反をなんとも思わないのです。むしろ憲法が間違っているとか最高裁判所の存在自体を否定する人がいるほどです。
統治権力が憲法を守らなければ、誰が守るんだという話ですが、彼らは統治権力の都合に合わないからといって憲法のほうを変えようとすらしています。
私たちは結婚とか家族というものを、日本の伝統とか当たり前のことだとか思ってしまいがちですが、それはごく最近できた特殊な制度だと思ったほうがいいです。
そういった特殊な制度がさも伝統であるとか自明であるという風に思って、個人よりも家を守るべきだという論理は、現代では通用しなくなってきています。
今伝統や常識と言われているものの中には、ただ最近になって生まれただけというものがたくさんあります。たとえば商店街は明治以降にできたし、サラリーマンは昭和以降に一般的になりました。
盲目的に信じないで、今ある伝統や常識がどのような経緯でそうなったのか吟味しましょう。そうすればいたずらに伝統や常識に縛られることもなくなります。
※追記
平成25年12月5日に、嫡出子と非嫡出子の相続分が同じになる民法改正が行われました。相続分についてはひとまず決着しましたが、人々の差別意識がなくなるにはもうすこし時間が必要だと思います。
日本では法律や道徳などによって、結婚・家族制度が個人の自由を奪っています(結婚したら夫婦がお互いに所有物とみなされるようになるなど)。そのことにすら気付かない人もいますが、みんなが人権や平等という抽象度の高い視点に立ってものごとを見れるようにしていきたいと思います。そうすれば差別をはじめとしたいろいろな問題が解決するでしょう。
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