コーチング

時間は未来から過去に一方向に流れるわけではない。苫米地英人氏の時間論への批判と、新しい時間論のモデル



今回は時間論のお話です。時間は未来から過去に一方向に流れるとする苫米地英人氏が提唱している間違った時間論について批判します。

また新しい時間のモデルについてをお話したいと思います。

時間は未来から過去に一方向に流れるとする時間論

まず時間は未来から過去に一方向に流れるとする時間論について解説します。苫米地英人の時間論は一言で言えば

「時間は、未来から過去に流れている」(『超時間脳で人生を10倍にする』より)

というものです。またこの時間論は、過去から未来に時間は流れないという一方向性のものです。

この時間論は苫米地英人や、苫米地式コーチングにおける重要な概念となっており公式サイトにも掲載されています。以下は苫米地式コーチング公式サイトからの引用です。

「仮にコーチングセッションでクライアントが過去について話し始めたら、認定コーチは「過去はあなたの未来に一切関係ない」と伝え、話題を変えるよう促します。なぜなら、苫米地式コーチングでは、「昨日までに起きたことは、明日起きることに1%も関係ない」と考えるからです。」

以上のように、過去は未来に関係ない、つまり、過去は一切未来に対して影響を与えることができない、というのが苫米地英人の時間論であり苫米地式コーチングの根幹となす考えとなっています。

ポイントは時間は未来から過去に一方向にしか流れず、過去から未来に流れることは一切ないということです。この時間論は、苫米地英人氏によれば現代分析哲学やアビダルマが元になっています。

今回は、この苫米地式コーチングの根幹の考え方について批判を加え、新しい時間のモデルについてお伝えします。

苫米地英人の時間論の意義

苫米地の時間論について批判していきますが、苫米地の時間論は一定の意義があるものでした。その意義とは、過去から未来に一方向にしか時間が流れない、という従来の時間論のアンチテーゼであったことです。

苫米地英人によれば、従来の時間論は「創造主が世界を作ったと定義する西洋の伝統的な宗教観をよりどころにした時間観」であり、「過去の束縛から脱することはでき」ないとしています。

つまり、過去に起こった出来事が一方的に未来を決めるのであれば、未来を変えることはできないことになるため不自由になるということです。

心理学ではフロイトのように、トラウマのように過去の出来事が現在の自分を決めているとする考え方があります。こうした考え方により、過去からの束縛から脱することができない人も多くいるでしょう。

しかし未来から過去に時間が流れる、となれば、未来から過去に影響を与えることができるということです。

苫米地は塞翁が馬の故事を引き、未来の出来事によって過去の解釈が変わることを示しています。未来は自らゴール設定できるので、自ら過去の解釈を変え、過去からの束縛から脱することもできるということです。

これは従来の西洋的な世界観に対するアンチテーゼであり、過去から未来が一方的に決定されるという時間観によって苦しめられている人たちの救いとなった面もありました。

苫米地の時間論のイメージ

ではここからの話と、苫米地の時間論を理解するために、苫米地の時間論のイメージをつかんでおきましょう。

苫米地の時間論は時間の流れが一直線に起きるという前提があります。この直線上で時間が過去から流れるのか、それとも未来から流れるのか、という方向性を問題にしているのです。

西洋的な時間では、過去から未来に向かって流れ、苫米地は未来から過去に向かって流れるとしています。またどちらの時間観も、一方向にしか流れないとなっています。

この直線状を一方向にしか流れない時間観である、というイメージをしておくとこの後の説明もわかりやすいことでしょう。

矛盾していた説明

苫米地の時間論は、苫米地自身もうまく説明できないものでした。なぜなら矛盾点があり、どうしても飛躍しないと説明できなかったからです。

例えば苫米地がよく用いる例えとして、川の上流から流れるボールという話があります。川の上流が未来、下流が過去とすると、未来から現在の地点にボールのように事象が流れてきます。その事象を現在において順番に認識し、事象は時間と共に過去に流れていって戻ってこないというものです。

しかしこのとき、では何が未来から流れる事象を決定しているのか、という問題があります。

このとき現在の自分が介入できなければ、現在の自分の意志が無効になります。これでは方向性が違うだけで結局自分が影響を与えることができず不自由なことには変わりはありません。

なぜなら未来に誰かいないと、ボールの順番を決定することができないからです。この誰かが、自分以外の例えば神のような存在であるなら、自分は未来に介入することができません。

未来の自分が決定する、としても、未来の自分に対して現在の自分が影響を与えることは時間の流れを逆流することになりできません。

そのため、現在の自分がボールを未来に投げている、と解釈せざるをえませんでした。

ところが未来の自分がボールを投げるということは、時間の流れにおいては未来に対しては下流の過去にあたる現在から未来に影響を与えられることになり、時間が過去から未来に流れてしまうため矛盾が生まれます。

そのため、未来の事象を一体誰がどうやって決めるのか、という問題は、苫米地の時間論では説明ができません。

コーチング理論との矛盾

苫米地の時間論は、自らが提唱するコーチング理論とも説明不可能な矛盾をきたしています。

それは過去の記憶を利用することについてです。過去の記憶を使って未来のゴールのイメージを作るというコーチング理論では、過去は一切関係ない、という理論と矛盾します。

なぜなら、過去は一切関係ないのであれば、過去のことを考えるだけで間違いだからです。

実際に「クライアントが過去について話し始めたら、認定コーチは「過去はあなたの未来に一切関係ない」と伝え、話題を変えるよう促します」と公式サイトにあり、これは過去を一切扱えないことを示しています。

これはポジティブな記憶でも、ネガティブな記憶でもどちらも同じことです。ポジティブな記憶はいいけどネガティブな記憶はだめ、と言うのでは結局ポジティブな過去が未来に影響を与えることになるからです。

そのため、ポジティブであってもネガティブであっても過去を一切扱えないことになります。

過去を一切扱えない、また過去が全く未来に影響を与えないのにもかかわらず、過去を思い出して未来の記憶を作ることはできません。

なぜなら過去があったから、過去の記憶があり、過去の記憶によって未来を作り、未来の記憶によって過去が変わる、と言う時系列から抜け出すことができないからです。

つまり時間が過去から未来に流れ、その後未来から過去に流れると言う2つの方向が生まれてしまい、苫米地の時間観と矛盾することになります。

例えば、未来にケーキ屋さんになりたい、と言うゴールを設定するとしましょう。この場合、なぜケーキ屋さんを知っているかと言うと、過去にケーキ屋さんを見たからです。

そのため過去に見たケーキ屋さんの記憶を使って、未来のゴールを作ることになります。この時点で、過去が未来に対して影響を与えてしまっているわけです。

ここで考えられる反論として、「時間は幻想。過去は記憶であって、現在にあるだけだ」と言うものがあるでしょう。

それではなぜ、クライアントが過去の話をしたらやめさせないといけないのでしょうか?クライアントは過去の記憶に基づいて話します。過去の記憶が現在にあるのであれば、過去の記憶はいくら話しても現在でしかないのであり、全く問題がないはずです。

つまりクライアントはいくら過去の記憶の話をしても現在の中での話であり、過去から現在に対して一切影響を与えないのでいくらでも話して良いとなってしまいます。

また後述しますが、苫米地が重要な概念として位置付ける縁起や空とも矛盾します。

このように苫米地の時間論は、自らのコーチング理論と矛盾してしまうのです。

個人、社会に対する悪影響

ここで、未来から過去に時間が流れて、過去から未来へは一切影響がないとする時間論はポジティブでいいじゃないか、と思う人もいると思います。

ところが、そんなに簡単な話ではないのです。

と言うのも時間が一方向にしか流れないと言うのは危険な考え方だからです。なぜでしょうか?それは過去が一切無効化されてしまうからです。

過去にの出来事が現在に一切影響を与えないなら、誰かに殴られても「過去は関係ない」で済まされてしまいます。このとき、「あなたは過去に私を殴ったでしょう、謝りなさい」と言っても、「過去に殴ったとしても過去に殴ったことは現在に一切関係ない。したがって現在に謝る必要はない」と言うことになります。

なぜなら、過去の殴ったと言う原因によって現在謝罪を求められていることを認めなければいけないからです。

あるいは、例えばですが苫米地式コーチングという団体が過去にある条件で資格を発行したとします。その際、ある条件は過去のことだから関係ない、と言って気軽に無効にできることになるからです。

資格をとったコーチが「過去のこの時点において、このような契約をしました」と言っても「過去は関係ない」というだけでしょう。なぜなら、過去の事実は現在に一切影響を与えることができないからです。

冗談のようですが、突き詰めるとこのようになります。

実際苫米地は、コーチに経歴を書かせることを否定しています。なぜならコーチは過去は一切関係ないという立場に立たなければいけないと考えているからです。

つまりこれは経歴を無効にする思想であるということです。もっと言えば歴史や文化、民族といった過去から履歴を無視することであり、これらを否定する危険思想であるということです。

また排他的でもあります。なぜなら時間は未来から過去に流れるという一方向しか認めないからです。そのため対立を生むことになります。

前提知識として縁起

ここまでで、苫米地の時間論について、矛盾点や問題点などを指摘してきました。ではここからは新しい時間論についてお話ししていきましょう。

この時間論を理解するには前提知識として「縁起」を理解することが必要です。縁起は仏教の概念です。この概念についてざっくりと解説します。縁起は知っているという方は読み飛ばして結構です。

縁起とは「相互依存の関係性」のことを言います。

相互依存の関係性というのは、それだけで存在するものがない、という意味でもあります。

例えば「大きい」「小さい」という概念について考えましょう。「大きい」は「小さい」があるから成り立ち、「小さい」は「大きい」があるから成り立ちます。

また「大きい」は「小さい」がないと成り立たず、「小さい」は「大きい」がないと成り立ちません。このように相互に規定し合うことを相互依存というのです。

仮に「大きい」という概念がない場合「小さい」は存在することができません。なぜなら、「小さい」は「大きい」との比較の中にしか存在できないからです。

アリは小さくてゾウは大きい、という時にも、アリとゾウが比較されてアリが小さいとわかります。アリしかいないとしたら、大きいか小さいかはわかりません。

相互依存なので一方的に規定することはありません。例えば「大」が「小」を一方的に規定しているわけではなく、相互に規定し合っているというのが重要です。

このようにして関係性を辿ると、全てのものが相互依存によってしか成り立つことができないのです。これはつまり全てが幻想であるということを意味しています。この幻想の意味は、全く無いのではなく、「あるともないとも言える」ということです。

あるけどない、ないけどある、あるというわけではないし、ないというわけでもない、といったものです。

例えば波を思い浮かべてください。

波は海に行けば確かに見ることができます。そのためどう見ても波はあるでしょう。しかし波は波そのものを指し示すことができません。なぜなら波も相互依存の関係性の中にしかないからです。

波は水分子の位置関係の変化に過ぎません。それを波だと人間が思うだけで、波はないのです。しかし確かに波はあるし、波という現象は他のものに影響を与えています。

例えば波は砂浜を削ったり、船を揺さぶったりします。

そのため波がない、と言うわけにもいきません。

ではどういうことか、というと、機能や現象として存在しているのです。例えば船を揺らすとき、船を揺らすことをもって波が存在している、と言う相互依存があります。

自分、という存在も同じです。自分を表すためにはまず名前と体が必要です。しかし名前や体は自分ではありません。名前や体、職業、家族と言った関係性、機能のことを自分と言っているに過ぎないわけです。

では自分はいないか、というと自分は確かにいて、自分が他人に影響を与えることもできます。つまり存在しているのは確かなのです。

しかしその存在の仕方は相互依存であって、自分が自分だけで存在するわけではなく他との関係性の中で存在するということです。

これが「縁起」や「空」です。

ここで勘違いしては行けないのは、「ないわけではない」ということです。波が砂浜を削ったりサーフィンで波に乗ったりできるように、存在として機能を果たしています。また別の言い方をすれば、機能としての他との関係性が存在ということです。

だから日々を生きている私たちは、確かに存在し、他者への影響を与えられる存在であり、他者からの影響も受けています。この関係性こそが存在です。このように虚無思想ではないことに注意してください。

また、人間は社会や他人のおかげで生きている、と言う考え方ともちょっと違います。これは縁起の中の一部を捉えているだけで、縁起は抽象的な原理だからです。

縁起は相互依存の関係性のことである、と知っておいてください。

時間は存在するのか

では時間は存在するでしょうか。時間はまず幻想です。しかし時間は存在します。関係性として。つまり縁起です。

これが時間に対する考え方です。

このとき時間の構成要素、つまり過去、現在、未来も同じように幻想であり、また関係性として存在します。

まずは時間は幻想であることから理解しましょう。過去、現在、未来、と言った概念や時間の流れは幻想です。なので突き詰めれば今しかありません。

今というのは大きさや幅を持っていません。数学でいえば点のことです。この点は概念上の存在で、本来は面積がないので見えません。しかし点
を表す時には便宜上紙に書いたりするので見えているだけです。

幅がないということは0.1秒先も、0.1秒前もないということです。ということは未来も過去もありません。もちろん今もありません。今というのは点と同じなので、便宜上「今」という概念がないと指し示せないから今と言っているだけなのです。

このように突き詰めれば今しかないのであり、時間は幻想ということになります。

では時間は存在しないのか、というと、関係性や機能としては存在を認められます。

例えば、朝、会社に行こう、と考えます。このとき、時間の概念を使い、8時半に会社に着くために、8時の電車に乗ろう、と考えたとしましょう。

そして8時の電車に乗ると、実際に8時半に会社に着くことができました。

この時、時間は確かに機能しており、存在していると言えます。どのように存在するかというと、8時の電車に乗ると8時半に会社に着く、という現象の中に存在しているのです。

あるいは大砲の弾をある角度で飛ばすと10秒後にこの地点に着弾する、という計算を行うとします。もし時間がないのであればこのような計算はできません。

しかし弾道計算をするとちゃんと目的の地点と時刻に着弾させることができるわけです。このように時間はあります。また過去、未来、現在と言った時間の要素も存在するのです。なぜなら時間には幅があるからです。

幅がない点である場合、時間は存在しません。つまり時間が存在するということは幅があり点ではないということです。

そのため、過去、現在、未来、と言った概念を想定して、未来の目標を作り、それを実際に実現すると言ったことも可能になります。

これが時間という概念です。

時間の直線的な理解

では時間の中で過去と未来について考えてみましょう。

苫米地の理論では時間は未来から過去にしか流れないことになっています。

しかし縁起から、未来と過去は相互依存の関係性になっています。ということは過去が未来を規定し、未来が過去を規定するという関係性があるわけです。

ここから、時間が過去から未来にも流れることがわかり、また過去が未来と一切関係ないわけではないことがわかります。つまり未来が過去を一方向に決めるわけではないのです。

このように時間は未来と過去の双方向に流れていることがわかります。

また同時に流れていることもわかります。なぜなら同時に流れなければ過去と未来という概念が成り立たないからです。

例えば未来から過去に向かって時間が一方向に流れ、その後過去から未来に時間が流れる、となると、未来から過去に向かって時間が流れている間、過去は未来という存在条件を失い成立できません。ということは未来も存在しません。そのため、未来と過去が同時に存在し双方向の関係性がなければいけないのです。これが相互依存の関係性です。

流れる、というとよくわからないかもしれませんが、流れは関係性の方向のことです。

この時点で、苫米地の時間論は縁起から見て間違っています。

ただ直線上で説明するのは少しややこしいので、別のモデルで考えてみましょう。

時間の三角形

これが今回のメインテーマともなる時間の三角形です。

過去、現在、未来、という時間の3要素はこのように相互依存の関係性を持っています。

前に大小の概念のお話しをしました。これと同じように例えば現在を指し示すためには未来と過去が必要です。また未来を示すには現在と過去が必要です。また過去を示すには未来と現在が必要です。

仮に過去が欠けたとすると、現在や未来も成立せず、現在がないとすれば過去も未来もありません。また未来がないとすれば現在と過去もありません。

このようにどこから始めても、他の2つが成立要件になるという三角形になっているのです。このように三角形にすることによって、過去、現在、未来すっきりと整理することができます。

例えばこんな感じです。

現在がどのように決まるかというと、未来のゴールと過去の記憶によって決まると言えます。また過去はどのように決まるか、というと、現在の自分が持っている未来のゴールによって決まります。

未来は現在の自分が過去の記憶をもとに作ります。これらが同時に起こり、その結節点が現在となって認識されているのです。

ここには全部で6つの方向性があります。もちろん6つ同時に考えることは難しいでしょう。

ですが様々な方向性がある相互依存であることをこの図から理解し、時間の一方向性の束縛から脱することができます。

またコーチング理論についてこれを当てはめて矛盾なく理解できるようになります。

時間の四面体

では時間についてもう少し詳しくみてみましょう。時間の概念は上の図のように捉えることができます。

これは例えば、時間と言った瞬間に過去、現在、未来が生まれ、過去、現在、未来が時間であると言う相互依存を示しています。

つまり、この中のどの概念が存在してもその瞬間同時に他の概念が相互依存で成立すると言うことです。

そのため、現在といった瞬間に時間、過去、未来、と言う他の概念が相互依存で成立しあるいはこの中のどれかが欠けると他の概念も成立できなくなることを示しています。

時間がなければ、過去、現在、未来もなく、未来がなければ、現在、過去、時間もありません。

まとめ

ここまで苫米地の理論を批判し、新しい時間モデルについて解説してきました。

もちろん、未来から過去に時間が流れることを否定しているわけではありません。確かに未来から過去に流れる時間は機能として存在するからです。そのため未来から過去に流れる時間も有効です。

未来にとって過去は必須な要素であり、そして過去にとっても未来は必須な要素です。

このように時間に関して柔軟に様々な方向性から因果関係を考えてみてください。

過去は一切関係ない、と言って過去を否定するのはあまりにも不自由だと思いませんか?

この不自由さは人を追い詰めるでしょう。そして実際、過去を否定することで対立関係や排他性が生まれ、苦しんでいる人もいるように私は思います。

例えば過去は一切関係ない、というのは本物の苫米地式コーチの4条件として挙げられています。つまり論理的に、過去のことを扱った瞬間に、偽物のコーチ扱いされるということです。

(苫米地式コーチの4条件はこちらで解説しています)

このような二項対立や、排他性が宗教戦争の原因なのではないでしょうか?

このような固定的な硬い時間観ではなく、柔軟な時間観を持ってください。

もちろん、時間は幻想ですが、時間は幻想だから無意味と言っても何も始まりません。幻想と言うだけではこれもあるかないかの二項対立になるからです。

そうではなく、時間の役割、機能は存在するのですから、それを使うことでやりたいことを実現したり、豊かになることを考える方が良いと思います。

それをする際には時間の3要素の相互依存の三角形を思い出してください。




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