Platonicusの石切山です。
フィジカルな感覚が世界で無くなってきているようです。これからは、オンラインではなく、フィジカルな世界で確認する生き方が重要になってきます。
ここのところ、あるデマ情報が世界に流れています。それは、正体不明のアーティストBanksyは、Massive Attackのメンバーなのではないか、という情報です。イギリスのdailymailが取り上げ、日本でもそれが邦訳されて出回っています。
この情報はデマです。
なぜそんなことを言えるのかと言えば、私はオンラインではなく、オフラインのフィジカルなつながりから情報を得たからです。デマを拡散している人たちは、情報源がオンラインのdailymailや日本のサイト、SNSなので、嘘情報に踊らされています。
現実世界の感覚が薄れ、メディア情報やオンラインの情報だけで自分の世界を構築していると、リアルとは掛け離れたおかしな空間で生きることになります。本やネット、SNSだけで情報を集めて知った気になっても、その中には簡単にデマが入り込みます。また、情報操作のコストが低いので、メディア情報やSNS、ネットばかり当てにしている人は容易に洗脳することができるのです。
しかし、直接の人間関係や、自分の経験によって情報を確かめられる人を洗脳することは、簡単にはできません。今回のデマも、フィジカルなつながりを持っている人たちからは、馬鹿げたことだと無視されているのです。踊らされているのは、Banksyのことをメディアで知っている人たちだけです。
そしてこのタイミングで、サイゾーのニュースサイト、ビジネスジャーナルの捏造記事も話題になっています。詳細はここでは書きませんが、記者がネット上の情報を鵜呑みにして、それをあたかも取材して確証の取れたか情報かのように報道し、それが事実に反する内容であったということです。私は、サイゾーは裏取りがきちんとできた情報だけを報道する会社だと思っていたので、とても残念に思います。
ビジネスジャーナルの謝罪文↓
http://biz-journal.jp/2016/08/post_16526.html
この件も、きちんとフィジカルな確認をしないことによって、記者自身も読者も騙されるという結果になっています。ビジネスジャーナルを信頼していた人たちにしたら、裏切られたという思いでしょう。
ビジネスジャーナルの不祥事に関して、サイゾーのオーナーの苫米地英人さんがブログで述べているように、
(http://www.tomabechi.jp/archives/51531280.html)
メディアは情報の裏どりをしないで、SNSなどの情報を鵜呑みにして報道するようになってきています。ビジネスジャーナルの不祥事はまさにその結果というわけです。だんだんマスメディアとまとめサイトの境がなくなってきているかもしれません。
最近では、ネット上に情報があふれ、よく検索しないと確からしい情報にたどり着きにくくなっています。広告収入を当てにしたアクセス数重視のサイトばかり上位に来ることもよくあります。こうしたサイトを見てみると、コピペ、鵜呑み、疑似科学、聞きかじり、素人情報があふれています。
これらのサイトは、苫米地さんが言うように自分たちの足で独自取材をせず、ネット上の雑多な情報を吟味しないで、あるいはコンピュータが自動でかき集めているようなものばかりです。こういうやり方をすれば、記事を量産してアクセス数を稼ぐことができます。コストもかからないので、安易なビジネスになるのでしょう。そして既存のマスメディアも、そうした安易な、空虚な情報の組み合わせビジネスに傾いてきているのです。
Banksyのデマ騒動や、ビジネスジャーナルの不祥事から、私たちが、ネットなどの言語情報や、抽象的な情報のみに依存して、自分の体を使ってフィジカルに体感することをしなくなっているという問題が見えてきます。
私はイビザにいますが、ここではフィジカルな世界が大切です。例えば食材の買い物をするにしても、クオリティを自分の五感で検証しないと、痛んだ物や、おかしなものを買ってしまう可能性があります。味見してみないと、見た目が同じでも違うものだったりします。これだ、と納得するような実感が必要不可欠なのです。
ビジネスジャーナルの不祥事の記者は、ネットなどの言語情報だけ見て、知った気になっていたところ、実際には違っていたということになってしまいました。これは、食材を買ったり、料理をしたりする時のように、五感でよく実感して、様々な裏どりをして確信を得るという作業を怠っていたからです。
あるいは、実感のレベルが下がっていたのかもしれません。記者や編集者が、ネットやマスメディアの情報に依存していて、それが実感のレベルのスタンダードになった結果、五感が弱ってしまった可能性があります。グルメサイトのランキング上位の店だからというだけで、美味しいような気がする(美味しい!という実感はそんなにないけど)、という感じです。
こうしたメディアに依存して、私たち自身がフィジカルな確信を得ることを怠れば、実際の世界とは懸け離れたメディアが勝手に作り上げた情報空間に浮遊しているような状態になります。そしてその中で言語情報を操作したり、議論したり、洗脳したりされたりしておかしな情報空間を構築していれば、現実世界と離れていってしまうでしょう。
今後私たちがフィジカルな実感や確認を大事にしない生活を続けていけば、サバイバル能力はどんどん失われていくでしょう。便利で安全なシステムが稼働しているうちは良くても、危機が訪れた時に対応できなくなってしまいます。物理的な危険がすぐそこに迫っているにも関わらず、それに気づかない、ということも起こり得ます。その時、一体今までのメディア空間はなんだったのか、と後悔することになります。
そうならないために、フィジカルな実感や確認を大切にすべきです。自分で経験したり、1次情報やそれに近い情報にあたり、物理的に確かめるように心がけるのです。例えば、野菜の匂いや味をきちんと感じとったり、実際に現地に行ったり、当事者に会ったりすることがあります。
私がブログなどで発信していることは、自分自身が経験したことに裏付けられています。コーチング理論や本を使ってそれを組み合わせていけばいくらでも記事を量産することは可能です。自分がやっていなくても、いくらでも偉そうなことを書くことはできます。でもそんなものに価値はないと私は思います。それこそ独自取材をしていないコピペ記事のようなものです。私は実際に自分でやって実感したことを発信しています。
ネット上の情報などをたくさん集めると、知識が増えた気になりますが、それはスカスカな、現実に根ざしていない情報かもしれません。言語情報も自分の実感を伴って初めて使えるものになるのです。効率が悪いと感じるかもしれませんが、そうした積み重ねによって、サバイバル能力が高まり、本当に使える知識が身につきます。そして、フィジカルな、地に足がついた生き方ができるようになるのです。