世の中には、天才と言われるような、すごいことができる人がいます。あるいは、生まれつきセンスがあったり、才能があると思えるような人もいます。夢や目標を叶えるためには、こうした才能やセンスが必要だ、と思っている方も多いでしょう。
しかし、実は、夢や目標を達成するのは、才能やセンスだけではありません。もちろん、生まれつきの性質が人間にはありますが、もっと大事なことがあるのです。最近では、遺伝で人生が決まる式の考え方が広まっています。確かにDNAは人生に影響を与えますが、運命を決定するものではありません。
自分には叶えられないと思うような、大きな夢や目標も、才能やセンスを気にせずに安心して立ててください。本記事では、目標達成するため重要な考え方や方法をご紹介します。また、才能やセンスがそれほど重要ではないことも解説していきます。
一番大切なのは、情熱、続けること
才能やセンスではなく、一番重要なのは「やり抜く力」であると、ペンシルベニア大学心理学教授のアンジェラ・ダックワースは著書『GRIT』の中で言っています。ダックワース博士自身は、学校でも特別進学クラスに入れず、父親からも才能を否定され続けました。しかし、彼女は天才賞と言われるアメリカの「マッカーサー賞」を受賞したのです。
一流大学の教授になったり、天才賞を取る人は、とんでもなく才能があると思ってしまいます。実際、学問の分野では、神童と言われるような、凄まじく勉強ができる人たちがひしめいているでしょう。アメリカの大学なら、世界中からそういう人たちが集まってきて、激しい競争をしているわけです。
しかし、彼女は、能力を発揮するために必要なのは、才能ではなく「やり抜く力」だと言っているのです。「やり抜く力」とは、「情熱」と「粘り強さ」のことです。言い方を変えれば、情熱を持って努力を継続できることを意味します。
情熱を持って続けられることをやることがまず大切
情熱を持って取り組み続けるためには、それだけの理由が必要です。一番はそれが好きなことだったり、楽しいことであることです。子供が何時間もゲームとか遊びを飽きずにやりますが、好きなことや楽しいことは、自然とたくさん練習することができます。好きなものじゃないと、なかなかこうはいきません。
自分が好きなことや、やりたいことをやれば、長い期間続けることができます。何年も続けられるものとなると、嫌いなことでは、強制されないと難しいです。自然と長い期間やってしまうことであれば、その分練習する量も多くなり、レベルアップするチャンスが増えます。
もちろん、好きなだけでは続けられないような困難なこともあります。スランプに陥ったり、トラブルやケガなどもあるでしょう。熱心にやっていた人でも、そこでやめてしまうこともあります。だから、やりたいことであり、しかも困難があってもやめずに続けられる粘り強さが大切です。
「意図的な練習」が能力を高める
取り組む期間や、時間だけでなく、どれだけ意識的に練習できたか、ということが、進歩にとっては重要です。同じ時間の練習でも、どんどん良くなっていく人と、あまり変わらない人がいます。それは、「意図的な練習」こそが、上達に必要だからです。
「意図的な練習」は『GRIT』の中で強調されています。日々少しずつ改善するように意識して練習することが大切です。良くない部分を修正したり、弱点を克服したり、といった意図的な練習の時間ができるかどうかが成果を左右します。
『GRIT』の中で紹介されている、エキスパートがしている「意図的な練習」の3ステップをご紹介しましょう。
1.ある一点に的を絞って、ストレッチ目標〔高めの目標〕を設定する。
「すでに得意なところをさらに伸ばすのではなく、具体的な弱点の克服に努める。あえて自分がまだ達成していない困難な目標を選ぶ」
2.しっかり集中して、努力を惜しまずに、ストレッチ目標の達成を目指す。
これは2つのポイントに分かれています。
1つは、ひとりで練習する時間を作ること。エキスパートはひとりで練習する時間が多い。
2つ目は、フィードバックを得ること。特に、うまくできなかった部分を克服するために、否定的なフィードバックを受けて、それに対処することが重要です。
3つ目は改善すべき点がわかった後は、うまくできるまで何度でも繰り返し練習すること。
弱点が分かったら、その部分が完璧に、考えなくてもできるようになるまで、繰り返して練習します。
以上の3ステップをぐるぐると回し続けることが「意図的な練習」です。弱点が克服できたら、また新たな弱点を発見して、それを克服するというループによってスキルがどんどん上がっていき、やがては、とんでもないレベルにまで到達することができます。
良い環境と良い指導者を得よう
また、自分の力を伸ばすには、良い環境と、良い指導者がいることが大切です。「孟母三遷」という言葉がありますが、中国思想に大きな影響を及ぼした儒家の孟子の母親は、息子の教育のために、三回も住むところを変えたと伝えられています。
どんな教育を受けるのかは、それだけ重要なことなのです。「三遷」からもわかるように、一度でそうしたものに巡り合えるとは限りません。自分を教育しようと思ったら、それにふさわしい場所を意識的に探しましょう。場所や指導者次第で、結果が大きく変わります。
教え方が上手な指導者につくことができれば、どんどん伸びて楽しさがわかります。逆に、教えるのが下手な人だと、上達しなかったり、そのうえ怒られたりして、嫌になってしまいます。中には能力のない詐欺的な人もいるので、誰に教えてもらうかは、とても重要です。
才能やセンスは実は大したことではない
世の中で才能や、センスと言われているものは、それほど問題にはなりません。それよりも、どれだけ情熱を持って取り組めたのかの方が重要です。小さな頃に神童と言われてものすごく期待された人が、思ったような成果があげられないこともあります。
プロ野球でも、ドラフト1位で入った選手が、1軍に上がれないことがあります。また、イチローのように、高校を卒業した時点ではそれほど注目されていなかった選手が、世界のトッププレイヤーになることもあります。
『GRIT』ではチャールズ・ダーウィンが紹介されています。ダーウィンと言えば、科学史上の最重要人物の一人です。天才の中の天才と言ってもおかしくない業績を上げています。しかし、ダーウィンは自分自身でも、伝記作家の間でも、いわゆる天才とはみなされていません。
もちろん頭が良かったのは間違いないですが、「なにごとも瞬時に洞察を得るような鋭いタイプ」ではなかったようです。むしろコツコツタイプでした。天才というと、なんでも一瞬でわかってしまうとか、AからBCDを飛ばしてEにいきなり到達する、というイメージがありますが、ダーウィンはそのようなタイプではなかったのです。
一般的に才能やセンスと言われているもののほとんどは、後天的に身につけられたものです。クラシックのピアニストは、3歳くらいからたくさん練習をしています。そして、小学校に入る前には、大人も驚くような技術を身につけるのです。うまくなった結果だけ見れば、才能のように見えますが、練習量が単純に多いのです。
学校教育が、センスの幻想を植え付ける
こうした、センスや才能に対する幻想は、学校教育が原因で生まれている部分があります。たとえば、才能の代表と思われている「美術」はマイナー教科の扱いなので、そもそも時間数が圧倒的に少ないです。その中で、十分な教育もできませんし、理論的な勉強をすることも難しいのです。
これは私が子供のときのことですが、ザリガニの絵を丁寧に細かく描いたら「もっと元気の良い描きましょう」と言われました。歯みがき習慣の絵のときも同じだったので、口を画用紙の端まで描いて、ほぼ口だけの絵を描いたことがあります。
このように、教える側に十分な素養や指導力がなかったり、杓子定規に当てはめられたり、時間が少なすぎるので、多くの人にとっては「よくわからない謎の科目」になってしまいます。どうやってうまくなったらいいのか、どう判断したらいいのかが、身に付かないのです。
数学も、小学1年とか2年の段階でつまづくと、その後は積み重ねになっているので、全部できなくなります。体育も、苦手な人はずっと苦手になります。本当は、一人ひとり発達度合いや、家庭環境、生まれた日も違うのです。4月生まれと3月生まれでは、同じ学年でも1年の差があります。しかし、学校では同じように教えられ、指導も十分ではないので、「才能幻想」が生まれてしまうのです。
ゴールを遠くに持って、長い目で考えよう
ゴールを遠くに持って、長期的な視野に立つことで、気分や状況の変化があっても、続けることができるようになります。長い目で見られれば、目先の変化は、ゴールを達成するプロセスの一部としてみることができるからです。今うまくいかないけど、必ずうまくいくようになる、と考えることができます。
人は、どうしても気分や状況が変化するので、そのときに諦めてしまうことがあります。スランプや、気分の落ち込みなどもあります。高いレベルにまで達するためには、それなりの期間や時間が必要なので、目先のことですぐ諦めてしまわないようにしましょう。
長い目で見れば、安定して続けることができるだけでなく、気分に左右されにくくなるので、かえって目先のことにも集中しやすくなります。あせらずに、自分の可能性を信じることです。一つ一つの進歩は小さいものですが、それが積み重なると、大きなことができるようになります。そうした未来の姿をリアルに感じながら、目の前のことに集中するのです。
正しいマインドで続ければ、「天才」も超えられる
夢や目標を達成するために、一番重要なことは、情熱を持って粘り強く続けることです。最初はできなかったとしても、諦めずに、意図的な練習をしていけば、必ず上達します。才能が必要だと思われている分野であっても、実は才能よりもやり抜くことの方が大切なのです。
私たちは、ともすると才能というものを過大評価してしまいます。しかし、才能が全てを決定する訳ではありません。それに、才能だと思われているものの多くは、練習量や学習量が多いだけだったりします。なんでも才能だと考えてしまうような才能幻想を捨てて、自由に夢やゴールを作ってみましょう。