多くの人が、
want-toのゴールを遠ざけて、
have-toのことばかりに
なってしまっています。
それには、ある原因があります。
それはこうしないといけない、
こうでなくてはいけないという
思い込みです。
例えば、私自身も前は、
「こうしなければならない」
「普通にしないといけない」
というのがたくさんありました。
特に高校生くらいの時が
一番多かったように思います。
最初、弦楽部に入っていたのですが、
弦楽なんてやる人は
ほとんどいないので、
珍しがられたりしました。
それから、ピアノが弾けたのですが、
男でピアノを弾く人は
あまり多くありません。
それも、
そういうのも珍しがられたり、
時には馬鹿にされたりしたのです。
ちょうど部活をやっていたのは、
後者の最上階の一番隅っこの、
人が通らない音楽室でした。
誰もいないと、暗く静かで、
ちょっと怖い、人を寄せ付けない
ような雰囲気がありました。
好きな音楽も、あまり他の人と
かぶりませんでした。
ちょうどミクスチャーとか
ドラゴンアッシュとか、
パンクのまがい物みたいなロックが
流行っていました。
何がいいのか
さっぱりわかりませんでしたが、
一応聞いてみたりして順応しようと
思いました。
サッカーが流行っていましたが、
あまり興味がありませんでした。
ロナウドと、ロナウジーニョの違いが
わからないような有様でした。
そういうのが全然わからなくて、
わからない自分が遅れているような
感じがしたのです。
こんな風に人から与えられる基準に
合わせようとしていくと、
面白くないし、自分が悪いかのように
感じてしまいます。
今考えると、人によって
何をしていてもいいし、
普通なんてものは存在しないと
わかりますが・・・
ダイエットして痩せるとか、
マッチョがいいとか、
友達は多いほうがいいとか、
恋人がいないといけないとか、
結婚してないといけないとか、
セックスレスは良くないとか、
いろんな「あるべき姿」が
誰かから与えられています。
そうしたことに合わせよう、
合わせとしても、
いつまでたっても
自信がついていかないし、
want-toなことができないのです。
私はベジタリアンですが、
ベジタリアンはしたい人だけ
やればいいと思います。
でも中には、ベジタリアンという
良いものがあって、
そうならないといけない、と
思っている人もいるのです。
それはwant-toとは違って、
have-toです。
他人が考えるあるべき姿に、
努力して、頑張って、
自分を高めていく、というのは、
悪い病気だと思ってください。
自分が望んでやっているようでも、
よく観察してみれば、誰かの考え
だったりするのです。
また、自分に何かを付け足して、
武装して、完璧にしていけばいい
というのも、また病なのです。
正解はないですし、
そうしないと人に好かれないとか、
評価されない、と思っている
としたら大間違いです。
ほとんどの人が抱えている悩みは、
そういうところから来ます。
ニートでもフリーターでもいいし、
ノーメイクでも、太っていても、
友達がいなくても、
セックスレスでも、
何も問題ありません。
大事なのは、
want-toがどこにあるのか、
ということです。
あれこれと自分に
継ぎ足すのではなくて、
want-toの大きなゴールを設定して、
そこに向かって必要なものが
見えてくる。
そしてそれが自然に備わってくる、
というのがマインドの
正しい使い方なのです。
もっと自分の内面、
マインドに目を向けてみましょう。
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