社会のことを語る人は、どうしても社会のことを暗く捉えてしまうようです。
社会について語る人たちを見ているとよほど恨みやコンプレックスでもあるのかと思ってしまいます。世に溢れている社会についての言説を見ていると、人によっては彼らに影響を受けて「日本はお先真っ暗だ」と暗い気持ちになってしまうかもしれません。彼らはいかにも自分の見方が絶対であるかのようにふるまっているので、不安になる人が出てくるのは無理もありません。
しかし暗い気持ちになる必要はありません。社会が良いとか悪いという価値判断は個人的なものでしかないのです。普遍的に良い社会、悪い社会というものがあるわけではありません。どんな社会であっても、「幸せで良い社会」だと見ることもできますし「最悪の社会だ」と見ることも両方できます。
悪い社会だと見れば悪いところはいくらでも見つかるでしょう。日本においては、原発の問題、TPP、憲法の改正問題、男女や人種などのさまざまな差別や不平等、など問題が山積していることは事実です。問題だらけで悪い社会だと見ることはできるかもしれません。
反対に良い社会だと見ればそれを支える根拠もいくらでも出てきます。海外では日本よりも格差が大きい国があり、現在戦争をしている国や、テロリズム、過酷な差別があるのですから、日本は世界的に見ても平和な国です。もちろん解決すべき問題はあるけど日本は豊かでいい社会だと思うこともできます。
見方でいくらでも変わる問題であって、良いか悪いかという価値判断をすることは無意味なことです。社会を悪く言う人は、
社会問題を語るときには「ゴールから見て合理的かどうか」で語るべきでしょう。まずゴールを設定し、それに基づいて判断をするのです。絶対的な価値観が存在しないこの世では、まず目指すべき共通のゴールという前提を置いて、そこからスタートするべきなのです。
たとえば民主主義という前提から見たとき、「議会が機能していなくて合理的ではない」と言うことはできます。「日本は民主主義だから機能していない議会を機能させよう」と言えばいいのです。問題は解決すればいいのであって、問題があるからと言って一喜一憂したり、暗い気持ちになるのは無駄なことなのです。
むしろ、そうした感情的な反応が、問題の解決を遅らせていることを、情報発信をする人は認識すべきです。不安や恐怖と言った情動はIQを低下させます。東日本大震災の後、日本中が不安や恐怖に陥れられ、チェーンメールやデマ情報が飛び交い、「地震を予知した」「この地震は陰謀による人為的なものだ」などというばかげた言説が人々の注目を集めました。情動によってIQが下がるというのはこういうことです。
より合理的な判断を下すためには、情動とは関係のないところで考えたり、話し合ったりしなければなりません。マスコミをはじめ、影響力の強い個人や組織、twitterやfacebookなどのインターネット上においても、情報を発信する人はそれが公の発言であることを理解して、人々を恐怖や不安が支配する情動の世界に陥れることがないようにするべきだと思います。
われわれは何を言われようと社会に対して暗い見方をする必要はありません。むしろわれわれは「世界はいつも幸せ」と思っていればいいでしょう。この世に絶対的な価値はなく、全ては個人個人の気の持ち方の問題ですから、せっかくなので幸せだと思ったほうが良いと思います。
その上で、より幸せになるにはどうしたらいいか、より良い世界を作るにはどうしたらいいかを考えて行動していきましょう。そうすれば問題があってもみんなが前向きに解決に取り組んでいく世界ができると思います。
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