こんばんは!石切山です。
ゴールはwant-toで、と
私はよく言っていますが、
want-toというのは、誤解されたり、
勘違いされることが多いです。
間違った状態で、
want-toだと思い込んで
ゴール設定しても、
ゴールがうまく機能しません。
今回は、
want-toへの勘違いを外すことで、
より良いゴールが設定できる
ようにしていきます。
want-toをやるというのは、
よく勘違いされるのですが、
楽することとは違います。
want-toをやりましょう、というと
必ず出てくるのが、
「やりたいことをやるなんて甘い。
やるべきことをやりなさい」
「努力して、嫌なことをしなければ
成功できない」のようなことを
言う人たちです。
しかし、これは、いろんな勘違いが
ごちゃごちゃになっています。
最たるものが、
want-to=楽すること、という
思い込みです。
これは普段have-toばっかり
やっている人が思いがちかも
しれません。
こういう人たちからしたら、
want-toは楽なことで、
やるべきことを避ける行為、と
映るのは仕方がありません。
物価の安い南の島で、リタイア生活
みたいなことと捉えられるのかも
しれませね。
しかし、want-toであることと、
かかる労力が多いか少ないかと
いうのはあまり関係がありません。
例えば、私がよく例に出すのが、
ボディービルダーです。
真っ赤な顔をして、
血管をボコボコ出しながら、
凄まじい重量を上げています。
それはかっこいい肉体が欲しいから、
want-toでやっています。
トレーニング中も、「ぐわー」とか
「ぬん!」という感じでいかにも
苦しそうな声を出しています。
ぐにゃっと曲がってしまった
鉄のバーベルも悲鳴を上げている
ように見えます。
疲労や、関節への負担、内臓への
負担も相当なものでしょう。
ケガもします。
筋肉や、靭帯がちぎれます。
食事もタンパク質系のものばっかり
食べています。
決して楽なことではないけど、
ボディービルダーは飽きずに、
今日も自分を追い込み続けるのです。
誰も強制しているわけでは
ありません。
しかし、want-toだから
やっているのです。
こんな風に、かかる労力と、
want-toかどうかは関係ありません。
want-toで、死ぬほど大変なことも
あるでしょう。
もちろん、
追い込んでるからwant-toだとか、
きついからwant-toだと言うことも
ありません。
ブラック企業みたいなところで、
ひいひい言いながら、
have-toばっかりやっている人たちも
います。
want-toはどちらかというと、
「努力を努力と思わない」というのに
近いです。
数学というと、苦手な人も多く、
3分もやったら逃げ出したくなる人も
多いと思います。
しかし、数学の問題を、
夢中になって年がら年中
考え続けている人もいます。
私は絵を描くのが苦手ですが、
中学生の友達で、佐々木というやつが
いました。
彼は、マンガを描くのが大好きで、
びっくりするくらい上手なマンガを
描いては、人に見せたり、学校の
印刷物に描いたりしていました。
私は、そんなことやれと言われても、
勘弁してください、と思います。
彼からしたら、
楽しくてやってるだけで、
努力してるなんて
思ってないでしょう。
人によって何がwant-toかは違うので、
ある人から大変なことでも、
違う人から見たら、遊びだと
思われることもあります。
私自身は、歌の練習をしていますが、
厳しいイタリア人の先生からバシバシ
体を叩かれたり、つねられたり、
指でぐりぐりされたりします。
ちょっと間違ったことをしたら、
0.1秒で止められます。
普通歌のレッスンと言ったら、
歌を楽しみましょう、という
雰囲気で、楽しく進むものだと
思うかもしれませんが、
そんな雰囲気はありません。
ある時、お腹をいきなり叩かれて、
ぐおっと声を出したら、「これが
なんともないくらいになりなさい」
と言われました。
そして、俺の脇腹を思いっきり
殴りなさい、思いっきり!と言われ、
「大丈夫なの?」と思いながら、
本当に思いっきり殴ったら、
先生は平気な顔をしていました。
それでも、練習が終わった後に
「これからもっと体育会系になる。
ラグビー部に入部したつもりで
いなさい」と言われました。
こんな練習は、たまにカラオケに行く
くらいの人だったら、耐えられないと
思います。
強制されたら、
鬱病にでもなりそうです。
しかしながら、私は全然平気です。
痛かったり、辛いこともありますが、
遊びみたいな感じで、
全く嫌な感じはしません。
しかも、この方が進化するスピードが
圧倒的に早いので、むしろ楽をして
いるくらいの感覚です。
もっとも、自己啓発の世界で、
本当はやりたくないことを、
やらせる方法論というのは
たくさんあります。
無理やりモチベーションを上げて、
無理やり楽しいかのように思いこむ、
というようなやり方です。
これは、want-toとはまた違います。
こういうところに、引っかかっている
人も、たくさんいます。
以上見てきたように、
want-toというのは、楽するとか、
労力の多さとは、あまり関係のない
ことです。
やりたいことかどうか、
が基準なのです。
本人は楽してるつもりでも、
人から見たら、すごく頑張っている
ように見えることもあります。
また、辛くて、きつくても
want-toなこともあるのです。
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